つくねの日記

雑記です。アイコンはそのうち作りたい...

趣味の捉え方

こんにちは。つくねです。

申し訳ないですが、今回は少し暗めの内容になると思います。

Twitterに垂れ流すには長すぎるし、100人の目に留まるのを考えたらブログに書いた方がいいかなって思いました。どうでもいい話ですが、それでも読んでくれる人がいたらうれしいです。

 

趣味について

突然ですが、私には趣味があります(あたりまえ体操)。今私は大学三年生で、最近の事情より授業の多くは遠隔で家にいながら受けています。二年前、家から大学まで片道1時間以上はかけて通学していたので、遠隔授業になったことにより時間は多く余りました。

私は、余った時間を趣味に割いてきました。

「そんなの普通だろ」と思う人がいるかもしれません。授業を受けて、課題を出して、それでも時間が余ったときに皆さんは何をしますか?

私は、その余った時間を使って「ゲーム」「お絵描き」「音楽鑑賞」「旅行(お出かけ)」の4つのことをやってきました。

ゲーム

最近ではApex Legendsをやってます。現在プラチナまでランクを上げようと必死です。

2020年夏から本格的にやり始めて、およそ800時間累計でプレイしたようです。友達数人(めっちゃつよい)にいろいろ教えてもらいながらやってて、とても楽しいです。

お絵描き

中学卒業直後くらいから絵をかいています。とはいっても、月1枚ペースでダラダラ描いているので、いわゆる「神絵師」からは程遠いですが...

2019年秋よりiPadApple Pencilを購入し、アナログで下書き→デジタルで仕上げという流れでやってます。最近では二次制作中心です。

非常に体力を使うため、月1枚ペースで友達と電話しながら描いています。

音楽鑑賞

音楽鑑賞とは名ばかりのYoutube Apple Musicの渡り歩きです。

私は中学生の時吹奏楽部に入っていました(チューバ)。吹奏楽系の音楽のイメージは大体ここで作られたと思います。ロングトーンの練習をこなしていた結果、高校入学時にはかなりの精度の音感も身についていました。

当時見てたアニメのOPEDをいい感じに吹奏楽っぽく頭の中でアレンジしてました。

高校生になり、友達から勧められたアーケード音ゲーにハマってさらにいろんな音楽に触れました。吹奏楽曲ではまず無いキックの効いたノリのいい曲、オーケストラと電子音が絶妙に組み合わさった新しい感じの曲に出会いました。

最近ではピアノのクラシック音楽に触れています(リストとかショパンとか...)。

しかし、いわゆる邦楽や洋楽は全然聴いていません。歌詞がうまく聞き取れなかったり、(特にラブソングなどで)歌詞の意味を理解できないためでしょうか...これでも一応高校生時代は軽音楽部だったんですけどね...

旅行・お出かけ

高校生になり、電車通学が始まって数か月...私は、鉄道のロマンに気づいてしまったのです。

最寄りの駅に走る線路の行き先を想像したり、都心のど真ん中をせわしなく動く何種類もの電車...そのロマンに気づいてしまいました。5歳で鉄道好きの少年を卒業して以来、実におよそ10年ぶりの再発でした。

それ以来、電車に乗って様々な場所にお出かけしに行きました。都内に用があるときは、用が終わった後も夜まで都内を徘徊してました。

最近になって、鉄道だけでなく道路や高速道路網にまでロマンを感じるようになったのでもうおしまいかもしれません。早く免許取りたいけどめんどくさい...

理解されづらい趣味?

以上が私の趣味です。私の生活は、基本「寝る」「食う」「授業や課題をこなす」「バイト」「趣味」で構成されています。

しかし、私はこの状況に危機感をずっと感じ続けています。なぜかというと、他の人と致命的に話ができないからです。

私は、この趣味が全部「他人に理解されづらい趣味」だと思ってます。

ゼミとかで一緒の人に「普段何してるの?」って聞かれたときに、答えが出せないのです。これから様々な人に会っていく上で、話のネタがないのはかなり深刻な問題です。

ゲームの話は誰も興味ないだろうし、お絵描きは他人に萌え絵(しかも出来はいまいち)を見せたくないし、流行りのJPOPとかわからないし、鉄道好きと言うのは(一般に鉄道好きには良いイメージが薄いので)気が引けるし、もう何も話せないと思っているわけです。

「趣味」という会話のタネを失うこと

それぞれ人が楽しんでやっていることが趣味なので、趣味のことは会話において重要なものになります。しかし、私はその趣味の話題を切り出すことが怖くてできません。理解されずに微妙な雰囲気で終わることが怖いからです。

自分が好きなものを中々話し出せないということが、私のコミュ障の主因ではないかと思ったことがあります。相手に好きなものを話して共感を得られたとき、その相手との心理的距離は一気に近づくはずです。しかし、それができないからぎこちない会話をしているように感じてしまい、会話に多大な労力を使ったり、会話に恐怖感を覚えてしまうのではないでしょうか。これがひどくなると、実際はどうであれ、周りの人は親密そうにしているのに自分だけ打ち解けられてないような気がするようになってきます。

実際、「自分の趣味は理解されづらい」というのは単なる思い込みの可能性があります。案外いい感じに話がつながったりする可能性だってあるはずなのにそれがあまり想像できないのは、実際に理解されなかった(と感じた)経験が多いからなのでしょう。

だからみんなが知ってるようなことを無理に触れようとした時期もありました。流行りの曲を聴いてみたり、スポーツを見てみたりしたこともありましたが、結局趣味として続けられたことは何一つありませんでした。

趣味の捉え方を変えること

以上のことを寝る前に考えていました。自分の趣味が理解されづらいものだと思っていることと、趣味を話せないから話が続かず、疎外感を感じてしまうこと。特に疎外感は、これから様々な人とかかわりあうことが予想されるうえで感じなくしておきたいものです。

それでは、どうしたらよいのでしょうか?自分の趣味がきっかけで話が続いた経験があれば、「趣味が理解されづらい」という思い込みを消すことができるでしょう。しかし、いきなり今度から趣味をひけらかすのもヤバい雰囲気になったときのことを考えると怖いし、同じ趣味を持つ人と話すことはそれで解決されるのか怪しいし、具体的な解決策が思いつかない...

「就活のために資格勉強している友達もいるというのに、自分は勉強しないで仕事どころか会話のタネにもならない趣味を続けていいのだろうか?」「こんな趣味続けて何になるんだ...」「もっとためになることをした方が良いのでは?」「時間の無駄では?」最近このような考えがずっと頭の片隅にあります。こう考えながらする趣味はマジでつまらないし、本当に精神を消耗します。すごく疲れます。これを止めるためには、どうにかして趣味に対して捉え方を変え、前向きにならなければならないのです。