つくねの日記

雑記です。アイコンはそのうち作りたい...

日記(2022/11/14)

何を信じる?

現在、日本の80%以上の人がワクチンを一回以上接種している。私もそのうちの一人である。

接種後は高熱や腕の痛みに襲われることをわかっていながら、そしてワクチンがどのように機能するのかを詳しく理解せずに接種した。

なぜこのようなリスクを冒してまでワクチンを接種したのかというと、私が現代医学を信じたからだ。

副反応はあるものの、接種する効果はあると科学者が認めたので、私はそれを信じた。

ワクチンがどう機能するのかを知らなかったが、接種する効果はあると科学者が認めたので、私はそれを信じた。

ワクチンを接種するという行動の基には、現代医学(と科学者)を信じたことがあった。

 

一方でTwitterを見ると、ワクチンは実は危険なものとしてワクチンを接種しないことを勧めている人がよくいる。

その人たちは、どうしてこのような判断を下したのだろうか。

ワクチンを接種した私にはわからないが、彼らはおそらく現代医学を信じなかったのではないだろうか。

あるいは、彼らが信じなかったのは国やマスコミ、製薬会社なのかもしれない。

とにかく、彼らは私が信じたものは信じず、私とは全く違うものを信じている。そのため、私と全く違う行動をとるのだろう。

 

人は、何かを信じて判断を下している。

信じるものが違えば、判断基準も異なり、それは見えている世界が違うといっても良いだろう。

慎重さの罠

自分は、何かを決める時には考える前に行動するタイプではなく、失敗しないように考えをめぐらすタイプの人間だと思う。

あらゆるリスクを考えて、別の選択肢はないか、回避する手段はないかを検討する。

この思考にはメリットもあるが、デメリットもある。しかし、デメリットのほうが多いと思っている。

デメリットの一つ目は、ストレスが溜まるところだ。就職などの人生を左右する局面では、リスクを踏まえて考えることは非常に重要だと思う。しかし、今日のご飯は寿司かステーキか、今週の日曜は家に籠るか遊びに行くか...といった至極どうでもいいことを決める際にもこの性格が表れると、優柔不断になったり決断した後に後悔したりとストレスの元になる。ストレスは健康に良くないし、浪費の原因にもなる。

デメリットの二つ目は、自信喪失につながるところだ。リスクを考えるときに慎重になりすぎると、リスクを大げさにとらえてしまう。それほど大きくない問題を大げさにとらえ、必要以上に心配し、その問題の前に自分ができることなんて何もない、という考えに至る。これも非常にストレスが溜まるが、自信喪失という絶不調につながることが一番の問題だ。

自信喪失という大問題

なぜ、自信喪失が一番の問題なのだろうか?

最初にも書いた通り、人は判断基準をもって何かを決断する。

しかし、自信喪失になると判断できたことも判断できなくなってしまう。なぜなら、決断をする自分自身の価値基準に疑問を抱いている状態だからだ。

いわば、視界がぼやけてしまうようなものである。価値基準が正しいのかよくわからなくなり、なんとなくで判断をするようになる。

また、自信喪失はネガティブな思考にもつながる。

自信がなくなり物事に明るい見通しが持てなくなると、積極的な行動がとりづらくなる。新しいことを始めたくなくなったり、交友を広げたくなくなったりする。

積極的な行動をとれないとだんだんと日々に変化が無くなっていき、そのうち大きな虚無感に襲われるだろう。

これら二点を引き起こすため、自信喪失はタチの悪い絶不調だといえると思う。

見える世界は変わるか

これまで書いた通り、自信喪失は人から価値基準と明るい見通しを奪い、文字通り「一寸先は闇」の状態にしてしまう。

積極性は日々に変化を生み、成長を促すという点でとても重要だが、自信喪失はそれすら奪い去ってしまう。

もし自分に対して自信を持ち直し、「こう判断したんだから後悔しない」とはっきり価値基準を持ち直すことが出来たなら、さらに積極的になれるのだろうか。

その可能性は大いにある。価値基準が明確になれば、決断に迫られたときに選択肢の良い点をより見通しやすくなり、「どっちがマシか」ではなく「どっちが良いか」で決断しやすくなるだろう。「どちらがマシか」と曖昧な価値基準で決めている今に比べたら、大きな成長である。見える世界が変わったといってもいいかもしれない。

しかし、自信を持ち直したり、明確な価値基準を持ち直すための具体的な道筋はよくわからない。そのきっかけが来るまで、毎日を頑張って過ごすしかない。

日記(2022年1月12日)

夜になると様々な考えが頭の中を巡るので、ここに書き留めておくことにします。

私はいま大学三年生の20歳で、来年度には就職活動が控えています。

マジで嫌な話ですが、再来年度には(うまくいけば)社会人らしいです。

圧迫面接やハラスメント、残業...と就職に前向きなイメージが全くない私にとっては、就職はほとんど死と同義です。社会に出たら時間だってなくなるし、常に様々なストレスに晒されながら生きていくことを考えると涙が出そうになります。

本当に、今の社会人はどのようなメンタルで生きているのでしょうか。

---

最近よく聞く言葉に「自己肯定感」があります。自分を認めてあげる、自信と似た言葉だと思っていますが、昨年よりそれが欠如しているのでは?と思い始めてきました。

振り返ると、失敗の思い出がやけにたくさんあるのです。

レポートを書くのは下手、人と話すのは下手、ゲームも下手、金のやりくりも下手、上達を感じる機会が少ない絵...

大学の三年間で何か進歩したことがあるかといわれれば、正直な話無いでしょう。

この進歩のなさが自己肯定感の喪失につながり、社会へ出ることの恐怖にもつながっているのだと思います。

---

自分はとにかく人と話すのが下手で、コミュニケーションをとるのが怖いです。過去に大きな(当人比)人間関係での失敗の思い出があり、それが自己肯定感のなさの要因だと思っています。

理由として考えられるものは、話のタネのなさと日本語の下手さがあると思います。

話のタネのなさというのは、言い換えれば私が世間知らずということです。世間で流行っているものを知らないゆえに人の話を理解できず、話についていけなくなってしまうのです。

例えば私は音楽をよく聞きますが、ジャンルは広く知られているJPOPではなくクラシックや音ゲー曲で歌詞がついてないもので、最近までカラオケにものすごく抵抗がありました。

数少ない知っている曲はアニメの曲で、ほかの人の前で歌うものではありません。2,3周くらいで曲が尽き、あとはドリンクを飲むだけでした(最近になって少し改善された)。

日本語の下手さというのは、言い換えれば私がコミュ障ということです。これまであまりに人と接する機会が無かったために、ドン引きされることを平気で言ったり冗談を理解できないことが起きるのです。

「ドン引きされたのかもしれない」などと疑心暗鬼になっている時点で、もう自然に人と会話することは不可能です。相手がたとえ何も気にしていなかったとしても勝手に不安は広がっていき、会話をするのがどんどん恐ろしくなるのです。

これに関しては人生最大の課題だと思っていますが、解決はほぼ不可能でしょう。大学に入れば治るだろうとどこかで考えていましたが、三年たってもついに治らぬままです。幸いにも現時点で親しい友達が数人いるので、新しく友達を作ろうとせずに彼らとの関係を壊さないように努めていくべきなのだと思った時もありました(まあ、自分では壊れないようにしているつもりでも壊してしまうことがあるのかもしれませんが...)。

しかし今では、既存の友達との関係を重要視しすぎるのも問題だと思っています。既存の友達に依存することになるからです。友達が徐々に友達を増やしていけば、私と関わる時間は徐々に減ってゆくでしょう。「友達が増えても私とずっと話しててほしい」というのはあまりにも傲慢で、この状況はお世辞にも良いものとは言えません。やはり私も新しく人と話せるようになり、友達を増やしていく必要があります。

---

もうひとつ自己肯定感が無い原因になっていると思われるものは、上達が感じられない趣味です。

私の趣味は絵や音楽やゲームが挙げられますが、絵以外はいまいち上達が感じられないのです。

絵は最近急激に上達したと感じたので、数少ない自己肯定感の源になっています。

こうした趣味を上達させるには継続が必要で、継続にはやる気が必要です。しかし、今の私はやる気を生み出すことが出来ていない状態だと思います。

私のやる気にフタをしているのは、「それ社会に出て役に立つの?」という気持ちだと思います。

「私が描いている絵は風景画ではなく萌え絵であって、オタクではない一般人に見せるものではなく、そこから何か生まれるわけではない。イラストレーターになれるのは極少数で、絵で食っていけるわけでもない。それなのになぜこんなことをするのか、時間の無駄ではないのか?趣味をする時間で投資なり英語なりもっと役に立つことをすべきだ」

絵を描こうとするとこうした言葉がどこからか聞こえてくるような気がするのです。こうした声を振り払うにはどうすればよいのでしょうか?私には何もわかりません。

周囲に絵を描いている人が少ないというのも、やる気が出ない原因がありそうです。実際に友達がやっているゲームについては、絵の数倍モチベを出すことが出来ます。しかし、絵以上にTwitterなどでやっている人が見られない音楽は全くと言っていいほどやる気が出ません。

やる気が出ないまま無理にやっても上達は感じられず、それゆえ自己肯定感も出ない状況に陥っていると考えられます。

ちなみに私は鉄道好きでもあるのですが、Twitter上などで鉄オタへの批判や自虐をよく見たおかげで鉄道好きそのものが自己肯定感を下げる要素になりました。

---

ここまで長々と書いてきましたが、最も自己肯定感を失うときは、「他人が当たり前のようにしていることを出来ない」と感じたときだと思います。そういった状況に陥った時に「じゃあ努力しよう」と前向きにとらえることが出来ないのはなぜなのか、まったくつかめない状況です。どうにか就職までに少しでも自己肯定感を高めたいものですが、2022年はそのきっかけをつかめる年になるでしょうか...?

ダイパ世代による率直なダイパリメイク感想

こんにちは、つくねです。

ついに11/19にポケモンダイヤモンド・パールのリメイク作品であるポケモンブリリアントダイヤモンド・シャイニングパールが発売されました。ポケモンの生放送のたびに「ダイパリメイクは?」と思い続けたダイパキッズの私の待望の作品でした。

とりあえずプレイ時間18時間ほどで殿堂入りし、シンオウ図鑑を完成させたところまで進めたので今の時点でのレビューを書こうと思います。記事の性質上殿堂入りまでのネタバレを含むので、嫌な方はブラウザバックしてください。

 

私の簡単な紹介

買ったソフト:ブリリアントダイヤモンド

最初に選んだポケモン:ヒコザル

殿堂入り時の旅パ:ゴウカザルムクホークレントラーロズレイドフローゼルガブリアス

ポケモン歴(本編のみ):ダイヤモンド、プラチナ、ハートゴールド、エメラルド、ホワイト、ホワイト2、X、アルファサファイア、ソード

楽しみにしていたところ:音楽、地下大洞窟

ストーリー関連

それでは早速ストーリー関連のところから触れていきます。

まとめとしては、「かなり難しく、いい感じに懐古厨出来た」という感じだと思います。

まずメインストーリーに関しては、リメイク前後で大きく違いはありません。展開は全く同じで、ダイヤモンドのストーリーを最新のグラフィック・音楽で追体験している感じです。特に物語のクライマックスでパッケージに描かれているディアルガがついに主人公の前に現れたシーンでは、グラフィックや音楽による演出による迫力がより増していて、2006年のダイヤモンド・パール発売時から長い時が経ったことを感じました。

私は最初の一匹にヒコザルを選びましたが、序盤・中盤は驚くほどサクサク簡単に進みました。まず驚いたのがヒコザルグロウパンチ取得です。シンオウ地方第一のジムリーダーは岩タイプ使いのヒョウタで、ヒコザルを選んだ場合には少しレベル上げをしてモウカザルに進化させないと相性不利になってしまいます。そのためヒョウタ戦の前にレベル上げをするつもりでしたが、(確か)進化前のレベル10で格闘技のグロウパンチを取得できるようになっており、モウカザルに進化させなくても楽にヒョウタ戦に勝利できました。ほかにも、経験値システムの変更のおかげでレベル上げの時間が大きく減っていたり、攻撃をかわしたり急所に狙ってあてたりする友情システム(?)が追加されていたりとダイパ時と比べたら格段に簡単になっているのを感じました。

序盤・中盤は特に負ける気配がなく、滅茶苦茶簡単だなと思っていました。しかし、やりのはしらイベントを終えて8つ目のナギサジムに挑んでいた時のことです。突然出てきたライチュウがなんとなみのりを使ってきたのです。これには衝撃を受けました。明らかにNPCの手持ちと技構成がただものではないことが伝わってきました。その後ナギサジムはクリアできましたが、ここから急激な難易度の上昇が起きます。

ストーリー終盤、恒例のポケモンリーグに到着した時の旅パの平均レベルは60を超えていました。四天王の一人目リョウの手持ちのレベルは55ほどで、レベル差で圧倒して殿堂入りは目前かのように思えました。しかし、四天王の持ち物や技構成がガチであることを思い知ります。ヘラクロスの火炎玉からげんきコンボや、めっちゃ硬いカバルドンがねむるカゴのみコンボを決めてきたり、襷を持ったゴウカザルがいたり、初手バリヤードが壁を張るおかげでダメージがまともに通らなくなったり...某実況者のガチ対戦動画で見た戦術がNPCから飛んでくるのです。しかも、最初は55ほどであった敵のレベルが急に60を超え、四人目のゴヨウの時には旅パのレベルにほぼ達していました。序中盤の楽さがウソのようでした。

なんとか四天王を突破してシロナに戦いを挑みますが、その戦いはギリギリなものでした。初手のおんみょーんミカルゲはとにかく硬いし、ルカリオの火力は高いし、ミロカロスはかえんだま持ってて物理主体の旅パで削るのに苦労したし、ロズレイドはまさかのマジカルシャイン持ちでガブリアスが持っていかれるし、ガブリアスは...もう言わなくても伝わるでしょう。楽に突破できたのがトリトドンくらいで、ほかのすべてのポケモンに大苦戦しました。最後のガブリアスなんかムクホークの威嚇がなかったらどう突破するんだって感じでした。友情システムやげんきのかたまり総動員でようやく勝ったときの達成感は凄まじいものがありました。

...というかんじで、ストーリーに関しては序中盤と終盤の難易度の差が大きかったなと感じました。終盤は少し難しすぎた気がしましたが、ダイパの時からシロナはヤバヤバ激つよチャンピオンだったので、めっちゃ難しいくらいがちょうどいいのかなとも思いました。友情システムが無かったダイパの時の俺、どうやってシロナ突破したんだろう...

グラフィック関連

次にグラフィック関連です。DSからSwitchになり、グラフィックはかなりきれいになっていました。自分はSwitch Liteでモニターに接続せずやったのですが、ぜひ接続したかったなと思っています。特に驚いたのは水の描写で、本当にきれいになっていました。風景や背景といったところもかなりきれいになっていて大満足でした。

しかし、PV公開時から賛否両論を見かけた二頭身の人物のグラフィックに違和感を覚えたシーンもありました。そのうちの一つで、最も違和感があった気がしたのがディアルガ登場のシーンです。やりのはしらでアカギがついに計画を実行し、ディアルガを召喚するシーンがありますが、そのシーンではディアルガはデフォルメ化されずに登場するのに対して、主人公やアカギといった人物はすべてデフォルメ化された二頭身で立っていました。ディアルガが迫力ある登場をしたあとに二頭身の人が喋り始めるので、緊迫感が緩んでしまった感じがしました。前作のソード・シールドでは主人公は二頭身までデフォルメ化されていなかったこともあり、このシーンだけでも等身をリアル寄りにしてよかったのではないかと思いました。それ以外の通常時にキャラクターが二頭身なのは(ダイパがそうだったので)特に気にはなりませんでした。

音楽

今回ダイパがリメイクされるにあたって最も楽しみにしていたのが音楽でした。ダイパにはシロナ戦を筆頭に根強い人気がある曲が多いです。私個人としてはテンガンざん上層部や216ばんどうろのリメイクが最も気になっていて、アルファサファイアのようなオーケストラ色強めのアレンジだったらいいなと思っていました(元吹奏楽部なので)。

結果としてはアルファサファイアには届かなかったものの、私好みのリメイクが多く良かったです。全体的に音楽は軽快な感じになったと思いました。テンガンざん上層部やチャンピオンロードのBGMはもう少し重々しい感じがよかったなと思いましたが、一般トレーナー戦や213ばんどうろ、ポケモンリーグのBGMなど好みに刺さるBGMも多かったです。

その他

少し操作性が気になりました。このゲームでは十字キーとスティックでそれぞれキャラを操作できるのですが、十字キーの入力からキャラが動くまでにタイムラグがあるように感じました。

このゲームは発売後から結構な数のバグがあるようです。私は運よく遭遇していませんが、オートセーブは切っておいたほうが安全らしいです。なぞのばしょバグもあるそうです(そんなところまで忠実に再現しなくていいから)

まとめ

以上長々と書いてきましたが、高い難易度や原作忠実再現といったところから、主にポケモンダイパをやってた人で、ポケモンをある程度知っている人向けのソフトであると感じました。このソフトからポケモンをやる人にとってはシロナ戦は厳しすぎるかなと思います。

結構賛否両論を見ますが、私は結構良いと思います。まあ思い出補正もあると思いますが、初めてポケモンに触れたシンオウ地方が戻ってくるのはやっぱりうれしいですし、地下大洞窟などで多くの種類のポケモンを捕まえられるのはシンプルに楽しいと思います。まだ殿堂入りしたばっかでハードマウンテン攻略、ギラティナなどの捕獲、地下大洞窟とやりたいことがたくさんあるので、まだまだこのソフトを楽しもうと思います。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

首都高料金ミステリー

こんにちは、つくねです。

本日は、首都高の料金について気になったことを書こうと思います。

料金制度については、必ず公式サイトをご覧ください。

www.shutoko.jp

 

前置き

皆さんは首都高速を知っていますか?

首都高速は都心にある日本の交通のかなめとなっている高速道路です。東名高速道路東北自動車道など、東京と地方都市を結ぶ高速道路は日本の交通において非常に重要な役目を果たしています。しかし、それらの道路の東京側の出入口は都心より離れています。首都高速はそれらを結び、都心部の交通を円滑にしています。もし首都高がなければ、地方都市から都心に向かいたい場合や、地方都市から都心を経由して別の高速道路を用いて別の地方都市に向かいたい場合に一般道を使わなければならず、都心部の渋滞が恐ろしいことになるでしょう。

そんな首都高ですが、通行料金がかかります。ざっくりいうと、通行料金は入ったところと出たところがどれだけ離れているかで決まる(上限あり)、電車と同じような仕組みがとられています。つまり、どこで入ってどこで出たかが重要となります。

首都高に限らず一般道から有料道路に入るときに、必ず1回は通行客から料金を受け取るために料金ゲートを通ります。この点も、乗車・降車時に改札を通って料金を受け取る電車と似ています。どこで入ってどこで出たかは、料金ゲートの位置が基準になっているのです。

どこで乗った?

首都高速には小松川線という東京と千葉を結ぶ路線があります。そのうちの小松川入口付近を(ストリートビューで)うろちょろしていた時に、入口に料金ゲートがないことに気が付きました。

また、小松川入口から一つ下り側にある一之江入口にも、料金ゲートがないことに気づきました。

小松川入口から首都高(上り)に入り、次の錦糸町出口を過ぎると、錦糸町本線料金所があります。また、錦糸町出口ランプにも料金ゲートがあります。

もし錦糸町出口で降りるなら、一之江入口と小松川入口のどちらの入口から入っても最初に通る料金ゲートが同じ錦糸町出口のものなので、小松川錦糸町と一之江→(小松川を通過→)錦糸町の料金は全く同じになるはずです。しかし、小松川と一之江の出入口は距離が離れており、同じ料金になるとは納得がいきませんでした。そこで、無免許で実際に首都高を走って検証するわけにもいかないので、首都高公式サイトで料金を調べてみました。

結果から言うと、なんと小松川からと一之江からで現金料金が同じなものの、ETC利用時の料金には差があり、一之江からのほうが高くなりました。

小松川錦糸町:310円、一之江→錦糸町:350円、現金は両ルート420円)

まあ走った距離に比例して料金が決められるシステムから見ると、錦糸町からより遠い一之江から走った料金のほうが高くつくのは納得がいきます。しかし、ここで一つ大きな問題にぶち当たりました。

錦糸町出口を通る車のうち、一之江入口から来た車と小松川入口から来た車をどうやって見分けているのか、という問題です。

料金に差がある以上、それぞれの入口から来た車を識別することが必要になります。しかし、両入口には料金ゲートがないのです。電車に置き換えて考えてみると、隣り合うA,B駅には改札がないのに、C駅までのICカード(=ETC)利用時の金額に差が出るということです。電車に乗ってる人を見て、「この人はあの駅から乗ってきたんだな」と切符を見ずにわかることがないことを考えれば、これは明らかにおかしいことがわかると思います。

では、いったいなぜ料金の差が生まれているのでしょうか?答えは小松川と一之江の両入口ランプの上に掲げられた小さな標識が示していました。

答えのカギは「ETCのみ料金に差がある」こと

両ランプの上には、「ETC」と書かれた標識が掲げられていました。ETCというのは、ざっくりいうと専用機械に入れることで無線で様々な情報を通信できるカードで、高速道路を快適に通行するために必須のカードです。電車で考えると、厳密には異なりますがSuicaのようなものです。ETCなしに高速道路を走るには、料金ゲートで一時停止して係員などに現金で料金を支払う必要があります。

両ランプに掲げられた標識は、ETCが通信を行う地点を示していました。この通信地点でそれぞれの入口から入ったという情報を通信すれば、錦糸町出口で別々の料金を受け取ることが可能です。ETC標識は、ETC利用車両にとっての"見えない料金ゲート"だったのです。

一方で、この"見えない料金ゲート"はETCを使っていない一般利用者には通用しません。錦糸町出口では、小松川か一之江のどちらの入口を使ったのか見分けがつきません。そのため、両入口で一般料金が同額になっているのでしょう。この場合、小松川入口利用者の通行量は少し割高になってしまいます。

都心はとにかく土地が高いです。料金ゲートはかなり土地を食うので設置にはコストがかかり、なかなか全部の入口に設置することは難しいのでしょう。ETCならば、小型の通信機をランプ上に取り付ければ料金を適切に取ることができます。料金ゲートで失われる土地を考えれば、一般料金が割り増しになってしまうということは致し方がない部分があるのでしょう。

あとがき

今回調べてみて、(半分憶測でしたが)ゲートの通行がしやすくなること以外のETCの利便性が見えました。最近できた同じ首都高の神奈川7号横浜北線の馬場出入口は、ETC利用者専用の入口となっています。しかしストリートビューで見てみると、きれいな料金ゲートがあるのです。小型通信機でいいはずなのになぜだろう...

横浜の郊外にあることを考えれば都心より地価が安く、それゆえ料金ゲート設置のコストが少ないからつけたということでしょうか?たしかにゲートがあったら入口の車線も増やしやすいですし、車線が増えると通信ミスも減りそうです。よくわからないですが、いろいろ考えた末の設置なのでしょうか...

今回は以上です。免許取ったら高速運転してみたい...

ではまた!

 

趣味の捉え方

こんにちは。つくねです。

申し訳ないですが、今回は少し暗めの内容になると思います。

Twitterに垂れ流すには長すぎるし、100人の目に留まるのを考えたらブログに書いた方がいいかなって思いました。どうでもいい話ですが、それでも読んでくれる人がいたらうれしいです。

 

趣味について

突然ですが、私には趣味があります(あたりまえ体操)。今私は大学三年生で、最近の事情より授業の多くは遠隔で家にいながら受けています。二年前、家から大学まで片道1時間以上はかけて通学していたので、遠隔授業になったことにより時間は多く余りました。

私は、余った時間を趣味に割いてきました。

「そんなの普通だろ」と思う人がいるかもしれません。授業を受けて、課題を出して、それでも時間が余ったときに皆さんは何をしますか?

私は、その余った時間を使って「ゲーム」「お絵描き」「音楽鑑賞」「旅行(お出かけ)」の4つのことをやってきました。

ゲーム

最近ではApex Legendsをやってます。現在プラチナまでランクを上げようと必死です。

2020年夏から本格的にやり始めて、およそ800時間累計でプレイしたようです。友達数人(めっちゃつよい)にいろいろ教えてもらいながらやってて、とても楽しいです。

お絵描き

中学卒業直後くらいから絵をかいています。とはいっても、月1枚ペースでダラダラ描いているので、いわゆる「神絵師」からは程遠いですが...

2019年秋よりiPadApple Pencilを購入し、アナログで下書き→デジタルで仕上げという流れでやってます。最近では二次制作中心です。

非常に体力を使うため、月1枚ペースで友達と電話しながら描いています。

音楽鑑賞

音楽鑑賞とは名ばかりのYoutube Apple Musicの渡り歩きです。

私は中学生の時吹奏楽部に入っていました(チューバ)。吹奏楽系の音楽のイメージは大体ここで作られたと思います。ロングトーンの練習をこなしていた結果、高校入学時にはかなりの精度の音感も身についていました。

当時見てたアニメのOPEDをいい感じに吹奏楽っぽく頭の中でアレンジしてました。

高校生になり、友達から勧められたアーケード音ゲーにハマってさらにいろんな音楽に触れました。吹奏楽曲ではまず無いキックの効いたノリのいい曲、オーケストラと電子音が絶妙に組み合わさった新しい感じの曲に出会いました。

最近ではピアノのクラシック音楽に触れています(リストとかショパンとか...)。

しかし、いわゆる邦楽や洋楽は全然聴いていません。歌詞がうまく聞き取れなかったり、(特にラブソングなどで)歌詞の意味を理解できないためでしょうか...これでも一応高校生時代は軽音楽部だったんですけどね...

旅行・お出かけ

高校生になり、電車通学が始まって数か月...私は、鉄道のロマンに気づいてしまったのです。

最寄りの駅に走る線路の行き先を想像したり、都心のど真ん中をせわしなく動く何種類もの電車...そのロマンに気づいてしまいました。5歳で鉄道好きの少年を卒業して以来、実におよそ10年ぶりの再発でした。

それ以来、電車に乗って様々な場所にお出かけしに行きました。都内に用があるときは、用が終わった後も夜まで都内を徘徊してました。

最近になって、鉄道だけでなく道路や高速道路網にまでロマンを感じるようになったのでもうおしまいかもしれません。早く免許取りたいけどめんどくさい...

理解されづらい趣味?

以上が私の趣味です。私の生活は、基本「寝る」「食う」「授業や課題をこなす」「バイト」「趣味」で構成されています。

しかし、私はこの状況に危機感をずっと感じ続けています。なぜかというと、他の人と致命的に話ができないからです。

私は、この趣味が全部「他人に理解されづらい趣味」だと思ってます。

ゼミとかで一緒の人に「普段何してるの?」って聞かれたときに、答えが出せないのです。これから様々な人に会っていく上で、話のネタがないのはかなり深刻な問題です。

ゲームの話は誰も興味ないだろうし、お絵描きは他人に萌え絵(しかも出来はいまいち)を見せたくないし、流行りのJPOPとかわからないし、鉄道好きと言うのは(一般に鉄道好きには良いイメージが薄いので)気が引けるし、もう何も話せないと思っているわけです。

「趣味」という会話のタネを失うこと

それぞれ人が楽しんでやっていることが趣味なので、趣味のことは会話において重要なものになります。しかし、私はその趣味の話題を切り出すことが怖くてできません。理解されずに微妙な雰囲気で終わることが怖いからです。

自分が好きなものを中々話し出せないということが、私のコミュ障の主因ではないかと思ったことがあります。相手に好きなものを話して共感を得られたとき、その相手との心理的距離は一気に近づくはずです。しかし、それができないからぎこちない会話をしているように感じてしまい、会話に多大な労力を使ったり、会話に恐怖感を覚えてしまうのではないでしょうか。これがひどくなると、実際はどうであれ、周りの人は親密そうにしているのに自分だけ打ち解けられてないような気がするようになってきます。

実際、「自分の趣味は理解されづらい」というのは単なる思い込みの可能性があります。案外いい感じに話がつながったりする可能性だってあるはずなのにそれがあまり想像できないのは、実際に理解されなかった(と感じた)経験が多いからなのでしょう。

だからみんなが知ってるようなことを無理に触れようとした時期もありました。流行りの曲を聴いてみたり、スポーツを見てみたりしたこともありましたが、結局趣味として続けられたことは何一つありませんでした。

趣味の捉え方を変えること

以上のことを寝る前に考えていました。自分の趣味が理解されづらいものだと思っていることと、趣味を話せないから話が続かず、疎外感を感じてしまうこと。特に疎外感は、これから様々な人とかかわりあうことが予想されるうえで感じなくしておきたいものです。

それでは、どうしたらよいのでしょうか?自分の趣味がきっかけで話が続いた経験があれば、「趣味が理解されづらい」という思い込みを消すことができるでしょう。しかし、いきなり今度から趣味をひけらかすのもヤバい雰囲気になったときのことを考えると怖いし、同じ趣味を持つ人と話すことはそれで解決されるのか怪しいし、具体的な解決策が思いつかない...

「就活のために資格勉強している友達もいるというのに、自分は勉強しないで仕事どころか会話のタネにもならない趣味を続けていいのだろうか?」「こんな趣味続けて何になるんだ...」「もっとためになることをした方が良いのでは?」「時間の無駄では?」最近このような考えがずっと頭の片隅にあります。こう考えながらする趣味はマジでつまらないし、本当に精神を消耗します。すごく疲れます。これを止めるためには、どうにかして趣味に対して捉え方を変え、前向きにならなければならないのです。

ウマ娘について

 

前書き

こんにちは、つくねです。

今日は、めちゃめちゃ久しぶりにブログを書きます。

テーマは「ウマ娘」です。

ウマ娘」って?

ウマ娘」は、最近のコンテンツです。

実在する(実在した)競争馬がモデルの女の子が、様々なレースを走り成長していきます。ゲームやアニメ、キャラソンがあります。アニメは1,2期名作なので見てください。僕は何回か泣きました。

ゲームには新キャラ(もちろん実在する/した競走馬がモチーフ)が続々実装されており、アニメに出てたキャラが実装されるとその都度Twitterのトレンドに上がり、軽くお祭り騒ぎになります。最近だとセイウンスカイがそれですね。個性豊かなキャラとそのキャラ同士の時にはゆるふわで時にはバチバチに競い合う関係性が、心をつかんだわけです。

勘違い

そんなウマ娘

私もゲームをやって、アニメを見て、曲を聴いて...とどんどんハマっていったのですが、ずっと違和感を持っていました。

ウマ娘に触れるまで、私は競走馬のことは全くと言っていいほど知りませんでした。唯一知ってたことというと、ディープインパクトの名前くらいでしょうか。

ウマ娘に触れて初めて競馬というものを意識しました。サイレンススズカトウカイテイオーといった競走馬がいたこと、「三冠」というものがあること、有馬記念という大きいレースの存在...ウマ娘は、私が競馬を意識するきっかけになりました。

しかし、私は本物の競馬を見たわけではありません。あくまで「ウマ娘のレース」を見たに過ぎないのです。ウマ娘は競馬をチーフにしたものですが、全く新しいコンテンツです。私が触れていたのは競馬ではなく「ウマ娘」で、当然ですが同じものではありません。

トウカイテイオー」と聞けば私はあのポニテで元気な女の子を思い浮かべますが、競馬ファンが聞くと全く別のイメージを持つでしょう。それは、「ポニテで元気な女の子」というイメージは、ウマ娘を見ないと持ちえないものだからです。

ウマ娘はかなり史実に忠実という評判を耳にします。競走馬の関係性や小ネタを擬人化した所にまで落とし込むというのは非常に難しいはずで、こうした評価を得ているのは本当にすごいと思います。しかし、それでもウマ娘を通して知ったことは競馬のそれと全く同じではありません。

私はウマ娘(アニメ)を見て、その後小ネタ解説などを見て「知らなかった~」と悦に浸っていました。私は競馬ネタを知ったと思い、この小ネタは今後競馬の話題になったときに使えるのではと思っていました。しかしその後、実在する競馬のネタを私はウマ娘を通してみただけであり、実際に競馬を見たわけではないことを思い出したのです。私は大きな勘違いをしていました。

ウマ娘と実際の競馬は(当たり前ですが)違うものです。だから競馬の話題の時にウマ娘の話題を出すのはよくないなと改めて思いなおしました。

あとがき

ここまで1200字。当たり前のことしか書いてきませんでしたが、ここに気づきなおせたのは大きいと思っています。

競馬の話題の時にウマ娘の話題を出すのは、某スマホ音ゲーにカバーとして収録された曲の話題の時に「知ってる!それ(某スマホ音ゲー)の曲だよね!」と言うのと全く同じなような気がします。もちろん相手によりますが、やめた方が無難かなと思います。

しかしウマ娘にうまく落とし込まれた小ネタ、マジですごいですよね...毎話小ネタを調べるたびにびっくりしてました。アニメの大筋ももちろん面白いので、見たことない人はぜひ見てみてください。Amazon Prime Videoにありますよ(2021/06/10現在)。

マジの余談

競馬と聞くと、ウマ娘のほかには私が小中の時にやってた某競馬メダルゲームを思い出します。アレにお小遣いやお年玉を全部つぎ込んでやってて(一時期口座残高がマイナスになってもやめられなくて、両親にばれてクソほど怒られた)、ゲーセンに入り浸っていたときにできた友達と猿のような奇声を上げながら狂ったようにやってました。

走ってる馬にニンジンを投げ、3桁の赤文字倍率に無謀なメダル10枚賭けをしたりしてました。学級閉鎖になった期間も朝から夜まで遊びました。学校を仮病で休んで一日入り浸ってた日に陽キャに見つかって次の日ボロクソに言われたのは良い(良くない)思い出です。メダル入れるカップを投げたり投げられたりしてました。店員の皆様、何度もご迷惑をおかけして本当に申し訳ございませんでした...

高校に入ってからぱったりやらなくなり、メダルゲーム音ゲーのついでにたまにやるくらいまでに落ち着きました。このあまりに酷い経験があるので、私は競馬とか競艇とかレース系の賭け事はやらないと心に決めています。

......でもウマ娘を見ると興味が出てきちゃいましたね。夏休みになったらちょっと競馬やってみましょうかね。最低金額は100円ですし、今はバイトもやってますし、あの頃のようにはならないでしょう。なあに、ちょっと勝ったらやめますよ。少しだけ、少しだけ...

山手線新駅の名前はどうして「高輪ゲートウェイ」になったのか?

おはようございます。つくねです。またブログを書き始めました。すぐ飽きると思いますが、更新時には読んでいただけると幸いです。

さて、折角ブログを再開したので、今日の入浴中に妄想したことを書こうと思います。妄想なので、しっかりした根拠があるわけではありません。とりあえず書き留めておくくらいの軽いノリで書いておこうと思います。

内容は、高輪ゲートウェイ駅の駅名についてです。本当にしょぼい内容なので、お急ぎの方は「まとめ」だけ見てください。

2020年3月14日、山手線に新しい駅ができました。これが高輪ゲートウェイ駅です。

東京都港区港南2丁目にあります。路線図で言うと、品川~田町の間で、山手線のほかに並んで走る京浜東北線も停まります。一階のホームと二階のコンコースは吹き抜けになっており、また天井が高いのも相まって開放感があります。

また、駅構内にはショップがあります。このショップ、なんとレジで精算せずとも品物を持って外に出るだけで自動的に商品の値段分Suicaから引き落とされるというなんとも近未来的なものです。これには筆者もびっくりしました。感覚としてはまるで万引きでした。

この駅の近くには、泉岳寺駅があります。といっても、京急線(横浜方面)に乗り換える場合には一つ隣の品川駅のほうが、浅草線(浅草方面)に乗り換えるには反対側の田町-三田乗り換えのほうが、雨天時も濡れず済むので便利だと思います。浅草線西馬込方面)に乗り換えるときは高輪ゲートウェイ-泉岳寺の乗り換えを使うことがありそうですが、地上を歩いて5分ほどかかるので、あまり便利とは言えません。

以上が高輪ゲートウェイ駅になります。ここで、山手線の路線図を見たらお分かりになるかと思うのですが、「ゲートウェイ」の部分が、あまりにほかの駅から浮いて見えるような気がしませんか?この駅ができる以前まで、山手線の駅でカタカナを使う駅は一つもなかったので、当然と言われれば当然です。東京、秋葉原、品川...とすべての駅が漢字であった山手線の新駅の名前を決めるときに、なぜ「ゲートウェイ」というカタカナが入ったのでしょうか?「高輪」ではダメだったのでしょうか?

また、少し情報収集をした結果、「高輪ゲートウェイ」という駅名がそれほど票を集めていなかったことが分かりました。この新駅をどう名付けるかは、一般の人からの投票で決まります。その結果は「高輪」が一番人気だったようです。「ゲートウェイ」など、最初はどこにもなかったのです。

しかし、JRが実際につけた名前は「高輪ゲートウェイ」でした。まさかJRが投票の結果を知らないなんてことはあり得ないので、JRがどうしても「ゲートウェイ」という単語を入れたかったということになります。いったい、どうしてでしょうか?

ゲートウェイ......Gatewayは英語で「玄関口」という意味を持ちます。実際に、千葉県には東京ディズニーリゾートのまわりをぐるぐる回るディズニーリゾートラインがありますが、この路線のうちJR京葉線舞浜駅にもっとも近い駅の名前は「リゾートゲートウェイ・ステーション」です。これは、まさしく舞浜駅がディズニーリゾートの玄関口であることを表しています。

では、高輪ゲートウェイゲートウェイはどうでしょうか?JRはこの駅を「何か」への玄関口という意味を持たせたかったようですが、その「何か」とは何でしょうか?

 もし「何か」が東京であったとします。しかし、そう考えるとすぐにあることに気が付きます。それは、高輪ゲートウェイ駅の周辺に、この駅より規模が大きい駅がたくさんあることです。山手線内回りで数駅動けば、ありとあらゆる新幹線・在来線が停まる東京駅があります。また、山手線外回りの隣の駅である品川駅は、東海道新幹線が停まるほか、京急ターミナル駅でもあります。リニアモーターカーの駅が作られる予定もあります。それに比べ、高輪ゲートウェイ駅には新幹線やリニアはもちろん、東海道線横須賀線の電車さえも通過してしまいます。つまり、この新駅のほかにも、東京の「ゲートウェイ」足りうる駅はあるのです。

 東京へのゲートウェイでないなら、高輪ゲートウェイ駅は何のゲートウェイなのでしょうか?これを考えるうえでカギを握るのが、JRが進めている品川地域再開発です。

  • 品川地域再開発

品川地域再開発は、すごく平たく言ってしまうと、もともとJRの土地だった地域を新しく計画して活気ある地域に変えよう!というものです(無学なので詳しいことはわかりません...すみません)。JRはこの地区を国際色あふれる地域にしたいのだそうで、品川駅~高輪ゲートウェイ駅~田町駅の地域を、この目的に向けて再整備しています。高輪ゲートウェイ駅は、この地域のゲートウェイだったのです!そう考えると、一般の投票結果を押しのけて「ゲートウェイ」という語を付けたJRのこの再開発に対する熱の大きさがうかがえるようにも感じます。

  • まとめ

山手線にできた新駅の名前は、「高輪ゲートウェイ」という周りから少し浮いたものでした。駅周辺には特に何があるというわけではなく、駅名の「ゲートウェイ」は要るのかどうか疑問に思ったのですが、実はJRがちょうど新駅のあたりを再開発している真っ最中でした。高輪ゲートウェイ駅は、将来この地区の玄関口となるようです。JRは、この再開発事業を見越して、「ゲートウェイ」という思い切ったカタカナを駅名に入れたようでした。

  • 品川地域再開発について(外部リンク)

文中にあった品川地域再開発について書かれた資料です。ほかにもたくさんあると思うので、気になったら調べてみてください。

https://www.jreast.co.jp/press/2018/20180923.pdf

  • おわりに

このことを30分くらい考えていたのですが、「高輪ゲートウェイ駅 駅名」とかで調べると様々なニュースサイトがこの再開発のことについて取り上げてて「なんだ...調べりゃよかった...」ってなりました。

あと今、自分の文章があまりに読みづらくて頭を抱えています。読みづらい記事で恐縮ですが、ここまで読んでくださった方がいたら、本当にありがとうございます。ブログ、これからこまめに書いて、慣れていきたいものです。