日記(2022/11/14)
何を信じる?
現在、日本の80%以上の人がワクチンを一回以上接種している。私もそのうちの一人である。
接種後は高熱や腕の痛みに襲われることをわかっていながら、そしてワクチンがどのように機能するのかを詳しく理解せずに接種した。
なぜこのようなリスクを冒してまでワクチンを接種したのかというと、私が現代医学を信じたからだ。
副反応はあるものの、接種する効果はあると科学者が認めたので、私はそれを信じた。
ワクチンがどう機能するのかを知らなかったが、接種する効果はあると科学者が認めたので、私はそれを信じた。
ワクチンを接種するという行動の基には、現代医学(と科学者)を信じたことがあった。
一方でTwitterを見ると、ワクチンは実は危険なものとしてワクチンを接種しないことを勧めている人がよくいる。
その人たちは、どうしてこのような判断を下したのだろうか。
ワクチンを接種した私にはわからないが、彼らはおそらく現代医学を信じなかったのではないだろうか。
あるいは、彼らが信じなかったのは国やマスコミ、製薬会社なのかもしれない。
とにかく、彼らは私が信じたものは信じず、私とは全く違うものを信じている。そのため、私と全く違う行動をとるのだろう。
人は、何かを信じて判断を下している。
信じるものが違えば、判断基準も異なり、それは見えている世界が違うといっても良いだろう。
慎重さの罠
自分は、何かを決める時には考える前に行動するタイプではなく、失敗しないように考えをめぐらすタイプの人間だと思う。
あらゆるリスクを考えて、別の選択肢はないか、回避する手段はないかを検討する。
この思考にはメリットもあるが、デメリットもある。しかし、デメリットのほうが多いと思っている。
デメリットの一つ目は、ストレスが溜まるところだ。就職などの人生を左右する局面では、リスクを踏まえて考えることは非常に重要だと思う。しかし、今日のご飯は寿司かステーキか、今週の日曜は家に籠るか遊びに行くか...といった至極どうでもいいことを決める際にもこの性格が表れると、優柔不断になったり決断した後に後悔したりとストレスの元になる。ストレスは健康に良くないし、浪費の原因にもなる。
デメリットの二つ目は、自信喪失につながるところだ。リスクを考えるときに慎重になりすぎると、リスクを大げさにとらえてしまう。それほど大きくない問題を大げさにとらえ、必要以上に心配し、その問題の前に自分ができることなんて何もない、という考えに至る。これも非常にストレスが溜まるが、自信喪失という絶不調につながることが一番の問題だ。
自信喪失という大問題
なぜ、自信喪失が一番の問題なのだろうか?
最初にも書いた通り、人は判断基準をもって何かを決断する。
しかし、自信喪失になると判断できたことも判断できなくなってしまう。なぜなら、決断をする自分自身の価値基準に疑問を抱いている状態だからだ。
いわば、視界がぼやけてしまうようなものである。価値基準が正しいのかよくわからなくなり、なんとなくで判断をするようになる。
また、自信喪失はネガティブな思考にもつながる。
自信がなくなり物事に明るい見通しが持てなくなると、積極的な行動がとりづらくなる。新しいことを始めたくなくなったり、交友を広げたくなくなったりする。
積極的な行動をとれないとだんだんと日々に変化が無くなっていき、そのうち大きな虚無感に襲われるだろう。
これら二点を引き起こすため、自信喪失はタチの悪い絶不調だといえると思う。
見える世界は変わるか
これまで書いた通り、自信喪失は人から価値基準と明るい見通しを奪い、文字通り「一寸先は闇」の状態にしてしまう。
積極性は日々に変化を生み、成長を促すという点でとても重要だが、自信喪失はそれすら奪い去ってしまう。
もし自分に対して自信を持ち直し、「こう判断したんだから後悔しない」とはっきり価値基準を持ち直すことが出来たなら、さらに積極的になれるのだろうか。
その可能性は大いにある。価値基準が明確になれば、決断に迫られたときに選択肢の良い点をより見通しやすくなり、「どっちがマシか」ではなく「どっちが良いか」で決断しやすくなるだろう。「どちらがマシか」と曖昧な価値基準で決めている今に比べたら、大きな成長である。見える世界が変わったといってもいいかもしれない。
しかし、自信を持ち直したり、明確な価値基準を持ち直すための具体的な道筋はよくわからない。そのきっかけが来るまで、毎日を頑張って過ごすしかない。